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星期五, 8月 04, 2017

和諧、尊重與寬裕(余裕)

現在實在沒有空(沒有寬裕,余裕がない),暑假計畫的事情進度嚴重落後。更麻煩的是,只有焦慮沒有做事的勁....
這種時候,反而會想做其他的事。就像寫這個文章,寫這個是被前一些日子的兩篇文章所觸動的。其一(日文)、其二(中文)。

星期六, 12月 17, 2016

劇中名言--日劇教我的事之四

這一篇是這一系列文章中最後了。在前段寫我個人選擇的劇中名言,以及我認為的這一句話背後的意義。後段寫極端私人的感言,因為極端私人性,或許不少人感受不佳。如果真的要讀下去,請做好心理準備。一再強調這一系列都是「我」的感受,不是什麼劇評,不喜勿入!!

星期三, 12月 14, 2016

日劇改變--日劇教我的事之三

這一篇是拿很久以前,也是我曾經入坑的一部連續劇當做對照(其實真的很少認真看日劇,如第一篇所說之前看的多半陪小孩看的),以極為主觀的方式看看新舊通俗流行劇(trendy drama)的異同。但如同前面的文章是私人觀察,絕不是什麼入流的評論,不喜者勿入。

星期二, 12月 13, 2016

科技宅--日劇教我的事之二

這是上一篇的續篇,因為在臉書上反應尚可,決定寫完整一點。預計連同上一篇,共寫四篇。這一篇由男主角借題發揮,但並沒有深入劇中問題,也不是評論,純個人感言,不喜勿入。

星期六, 12月 10, 2016

伸手不打笑臉人-- 日劇教我的事

我知道現在分心寫網誌實在不好,分心去追日劇更是不應該。但實在會分心啊!所以今天來分析一下我為什麼分心。

星期三, 3月 05, 2008

高雄のランタンフェステバル

今日2008年3月5日は、旧暦で1月28日です。今年の旧の1月は30日までありますので、2月まであと3日あります(当たり前:-))。

3月1日に、高雄ランタンフェステバルの花火を見に行きました。次の日が最終日で、その前の土曜日という事て、たくさんの人が見に来ていました。花火は、約6分でしたが、ハート型や、ハローキティ(??)型のもあり、結構面白かったです。youtubeに画像をアップしましたので、見てください。










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星期六, 2月 16, 2008

問題は3.14じゃない

こういうニュースを見かけると、台湾でも日本でも教育の専門家っているのかどうか疑問になってしまいます。



教育ってものは、社会の風評とか、一般世論に左右されていいものでしょうか? 心理学(特に認知心理学)、教育学には人間の学習についての原理が分かり始めています。それは、人間が人間として、また人間が一動物として、この地球に生存している原理につながっています。簡単に言うと進化論です。ただ、一般の人が「常識」として知っている進化論ではなく、もっと踏み込んだものですが。



円周率が3でも、3.14でも、なぜ円周率がこうなったか、どのような授業で子供たちに円周率を体感できるか。このような、根元にあるものを論議しないで、3はだめで3.14にしろとか、授業時間を伸ばすなど、表面的なことしか決めない、そんな指導要領なのためになるのでしょう?



日本の教育の未来は、上の頭を変えなければ、暗いです。



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星期日, 11月 18, 2007

ゆとり

お久しぶり:)



子供が二人いるので、親として、また心理学(特に認知心理を少し)を教えているものとして。教育には大変興味があります。



表題の「ゆとり」ですが、ご存知の方はご存知だと思いますが、最近日本では「中教審」が次期学習指導要領の中間報告を提出したようです。この中で、指導要領の変転の根拠のひとつになったのは「全国学力テスト」です。まるで、「ゆとり」のせいで学力が落ちたように見られていますが、本当にそうでしょうか?



個人の考えですが、ここには二つ落とし穴があると思います。一つ目は、数値化の問題です。心理学の中で、各種心理テストは、人間の心理的な側面を数字で表すのに使われています。「学力テスト」も大まかに言えば一種の心理テストですが、このテストでどの心理的なものを計ったのでしょうか?それは学力だと皆様は言われると思いますが、学力をペパーテストだけではかれるのでしょうか?ペパーテストを使うのは、ただ数値化しやすいだけではないでしょうか?また数値化するとすぐ比較する「馬鹿」がいますが(何県が一位だとかと何処がビリだとか)。それに意義があるのでしょうか?このようなテストの数値は、練習、参加者の意欲、社会家庭の注目度に大変影響されやすいものです。百歩下がって、この数値が「学力」を正確に反映したとしても、数値化して、比較のえさにして、教育的に何かの利益があるのでしょうか?



もうひとつの落とし穴は、教育の成果は長い時間をかけないと現れないものです。個人の簡単な学習でも、本当に安定した成果が現れるのには、年を単位にしなければわかりません。 たとえば、数学の代数問題。中学校程度であれば、たいていの方は覚えていらっしゃると思いますが、日常生活で必要がなければ、高校の数学は忘れてる方が多いと思います。それは、高校の数学は、工学系の大学および仕事に就かれてない場合は、高校で終わってしまいます。中学のものは、やはり日常生活では使わないと思いますが(日常の買い物で連立方程式をいちいち解いている暇などないと思います)、高校三年間の数学でずっと使っていました。だから、それなりに中学の数学は定着しているのです。母集団全体の教育的進歩は、もっともっと時間のかかるものです。それを十年やそこらの改革で成果を見出そうというのは乱暴なものだと思います。



また、「ゆとり」政策を始めるとき、今また方向転換するときと同じく、欠かせない準備を怠っていたとか言いようがありません。総合的授業をするのに、先生たちに十分の訓練を行ったのでしょうか?ちゃんとした訓練もせずに、簡単なカリキュラムだけで、先生にこのような複雑な授業を実施させるのは無謀というものです。先生と生徒の試行錯誤の中で進められてきたのならば、授業自体が成り立つだけでも何年もの歳月が費やされたと推測できます。



まだ道半ばでストップさせられた「ゆとり」は、本当に教育の悪だったのでしょうか?もし本当に悪いことばかりなら、なぜ始めたのでしょうか?これからの教育はどうなるのでしょうか?



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星期五, 6月 08, 2007

ちょっと一休み



最近いろいろ有って、少しブルーです。



気分転換に、面白い映像を







これは、毎日出勤途中にある看板ですが、上はマンションの広告、下は整形外科(美容外科ともここでは言っています)の広告。「狐臭」は「腋臭(わきが)」、「拉皮」は「シワ取り」のことです。



この二つのコンビネーションは絶妙だと思います(画像をクリックしてください、シワ取りが必要なのがわかります)。

星期六, 2月 24, 2007

のだめ

台湾では、有線放送で日本で終わったばかりのドラマをよくやります(人気があるのは終了前から)。最近は(私が最近知っただけですが)、夜市でDVDに焼いたのを売っています。







これは娘が友達から借りてきたものですが、一緒に見ています(暇がないのに:-()。



漫画チックな演出で、あまり好きではありませんが、うちの学科によくいるような学生(さすがにそのもではありませんが)たくさん出てくるので、その点惹かれながらみています。医学大学ですが、心理学科は(こんなこと書いたら学生に怒られますが)医学部に入れなかった「落ちこぼれ」的なのが集まっています。いろいろと可能性がある、一癖もふた癖もある面白い子達ですが。大学までのいろいろな場面で、少し挫折したり、寄り道によったり、自信をなくしている子がいます。



その子達をどうやって、その子そのものの輝きを取り戻させるのが、こんなところ(また怒られる:))で教師をしているものの最大の楽しみです。時間はかかりますが、卒業時に、卒業後に立派になった彼らを見ると、それまでの苦労が吹っ飛びます。ただ、これは大学教師のクレジットには入りません。ほとんどの台湾の大学教師たちは、問題が起こらない程度に、時間をあまり掛けずに、上手にこなしています。酷い人になれば、もともと問題を起こしそうな学生は初めから排除しているようなのもいます。



のだめみたいな子、可愛いんです、見方を変えれば。癖のあるこは、特殊なところがあるんです。昔、「導生(担任の生徒です、ここでは生徒の生活学業補導のため大学部のチューターになります)」の卒業に寄せて、このような文を書きました。 中国語ですが見てください。



シュトレーゼマンのような、変な先生でした。

星期二, 2月 20, 2007

新年快楽





2月18日が今年の旧正月でした。 今年は大変遅い旧正月で、正月休みが明けるとすぐに学期が始まります、慌しいことです。写真は家の前です、「春聯」を貼りました。中国的な感じが出ているでしょう:)

星期一, 2月 05, 2007

嘘を嘘だと見抜ける力

今日本で「ある」テレビ番組が捏造で問題になっています。ただこういうものまで信じている(本気で)人がたくさんいると、とてもこれからの社会憂慮されます。



学力がどうのこうのといわれていますが、明らかにありえないこと、見るからうそのことを見抜けないような人間を量産している義務教育(とその後の教育)はどうしたらいいのでしょうか?また、マイクを持った人間が、自分の行いをぜんぜん省みない(考えているのは視聴率だけ)のは、どうしたらいいのでしょうか?政治家が、失言ばかりで、人々(もともとは民主主義は人々から選ばれるのです)の生活をぜんぜん考えていないのは、どうすればいいのでしょう?



大学で、科学哲学関係を教えているものとして、非常に脱力感を感じます。一生懸命何十人かに物事を科学的に考えることを半年かけてやっと解るようになってもらえても、資源豊富なマスコミが一つの番組で全部壊してしまうようで…

星期三, 1月 17, 2007

試験、試験

こちらでは、今一学期の期末試験。日本ではそろそろセンター試験。



試験は何のためにあるのでしょうか?一斉同時の試験で、いったいどのぐらい一人の人が測れるのでしょうか?ヒアリングを増やすと、英語が上手になるのでしょうか?



さてどうなのでしょうか?

星期五, 1月 12, 2007

続き

教育改革は、ここ台湾でも長く叫ばれている課題です。たとえば、台湾十年ほど前まで、高校以下の教科書は、公的出版社(国立編譯館)だけが出版できて、全部の学校はこの教科書しか使用できない決まりになっていました。国立編譯館の教科書は、国民党よりの思想がいっぱいでした。たとえば国語、一番たくさん文章が出ているのは中国台湾の文豪ではなく、「蒋介石」でした。



入学試験も、当然ながらこの教科書に沿って出され、そこに載っている言葉が「正解」でした。たとえば、科学の定義は、「有組織有系統的学問(これは中国語です)」、これ以外は間違いです、なぜならこれは蒋介石が言った(教科書に出ている)言葉だからです。



この十年来、戒厳令がとかれ、民進党の躍進などで、台湾の教科書も変わってきました。日本と同じように、教育部(文部科学省に相当)の審査を受けた各社の教科書が多数出ています。ただ、ゆとりの見直しと同じように、台湾でも「一綱多本(各出版社が教科書を出版していることです)」を見直そうとする動きがあります。12月に台北市長に当選した郝市長は、公約に「一綱一本」を掲げ、今年の9月から台北市と県で教科書を一社にしようとしています。彼らの言い分は、昔一種類しか教科書がなかったときは、正解をひとつ覚えるだけでよかったけれど、今は教科書の種類だけ正解を覚えなければならないので大変だ。またこのような論議に賛成する民衆が多数いるということです。

ゆとり

日本の教育で、学力低下の原因を「ゆとり」にしているようです(記事参照)。本当にそうでしょうか?小泉総理以来(その前もそうかもしれませんが)日本の政策設定者は、単純明快さばかりを求めて、核心的意義を見失っているのではないでしょうか?



教育は、子供たちに大人になって通用する「教養」を身につけることではないでしょうか?今のゆとりの見直しは、もともとゆとりを打ち出した前に戻しているように思えます。そもそも、なぜゆとりを打ち出したのか、「学力」と「教養」の違いは何なのか、論議がないまますすで要るようで心配です。

我的日曆