星期日, 11月 18, 2007

ゆとり

お久しぶり:)



子供が二人いるので、親として、また心理学(特に認知心理を少し)を教えているものとして。教育には大変興味があります。



表題の「ゆとり」ですが、ご存知の方はご存知だと思いますが、最近日本では「中教審」が次期学習指導要領の中間報告を提出したようです。この中で、指導要領の変転の根拠のひとつになったのは「全国学力テスト」です。まるで、「ゆとり」のせいで学力が落ちたように見られていますが、本当にそうでしょうか?



個人の考えですが、ここには二つ落とし穴があると思います。一つ目は、数値化の問題です。心理学の中で、各種心理テストは、人間の心理的な側面を数字で表すのに使われています。「学力テスト」も大まかに言えば一種の心理テストですが、このテストでどの心理的なものを計ったのでしょうか?それは学力だと皆様は言われると思いますが、学力をペパーテストだけではかれるのでしょうか?ペパーテストを使うのは、ただ数値化しやすいだけではないでしょうか?また数値化するとすぐ比較する「馬鹿」がいますが(何県が一位だとかと何処がビリだとか)。それに意義があるのでしょうか?このようなテストの数値は、練習、参加者の意欲、社会家庭の注目度に大変影響されやすいものです。百歩下がって、この数値が「学力」を正確に反映したとしても、数値化して、比較のえさにして、教育的に何かの利益があるのでしょうか?



もうひとつの落とし穴は、教育の成果は長い時間をかけないと現れないものです。個人の簡単な学習でも、本当に安定した成果が現れるのには、年を単位にしなければわかりません。 たとえば、数学の代数問題。中学校程度であれば、たいていの方は覚えていらっしゃると思いますが、日常生活で必要がなければ、高校の数学は忘れてる方が多いと思います。それは、高校の数学は、工学系の大学および仕事に就かれてない場合は、高校で終わってしまいます。中学のものは、やはり日常生活では使わないと思いますが(日常の買い物で連立方程式をいちいち解いている暇などないと思います)、高校三年間の数学でずっと使っていました。だから、それなりに中学の数学は定着しているのです。母集団全体の教育的進歩は、もっともっと時間のかかるものです。それを十年やそこらの改革で成果を見出そうというのは乱暴なものだと思います。



また、「ゆとり」政策を始めるとき、今また方向転換するときと同じく、欠かせない準備を怠っていたとか言いようがありません。総合的授業をするのに、先生たちに十分の訓練を行ったのでしょうか?ちゃんとした訓練もせずに、簡単なカリキュラムだけで、先生にこのような複雑な授業を実施させるのは無謀というものです。先生と生徒の試行錯誤の中で進められてきたのならば、授業自体が成り立つだけでも何年もの歳月が費やされたと推測できます。



まだ道半ばでストップさせられた「ゆとり」は、本当に教育の悪だったのでしょうか?もし本当に悪いことばかりなら、なぜ始めたのでしょうか?これからの教育はどうなるのでしょうか?



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