星期日, 1月 28, 2007

學力--續

相信不少在臨床界服務的系友,對心理測驗實務都比我清楚。說這些有一點「班門弄斧」的味道,不過我還是囉唆一下。

心理測驗顧名思義來量測各項心理特質,但不幸的是,所謂「心理特質」這個東西是很難以捉摸的。今天(以及昨天)所談的學力,連操作型定義都很模糊,如何能知道我要量什麼?

嚴格來說,個人認為所有心理測驗都很有問題。最有傳統的智力測驗,到現在究竟智力是什麼?這樣基本問題都仍有不少爭議。但是臨床上還是得知道誰可能是需要照顧,測驗也有一定可靠度,當然要用!但是,任何一個測驗,不應成為一個唯一或是最強而有力的「證據」。

學力,如果是想要知道學生能否在某一個學校、某一個課程的學習能力,或是已學得多少東西。當然一般「成就測驗」是很好的選擇之一。但學校裡學的學科有很多很 多類型,不見得每一種都適合利用限定時間,限定型式回答的紙筆測驗。個人認為,大多數學科用傳統的紙筆測驗會量不出「真正」的學力。例如我最喜歡舉例的數 學,數學中邏輯推理、歸納、演繹、創意及問題解決能力都很重要,倒是計算能力,可能是「算術」層級的事情(除非想出課本以外的計算方式)。但是沒有計算的 數學考題很難出題,也很難限定一個小時(或更短時間)能解幾十題。

所以,一般紙筆的數學考題不見得難測得出學生的數學學力。同樣的,如果大學的課程如果只用紙筆測驗(尤其閉書考,又限定一個小時)絕對是考不出該考的大學學力。

但是一般大眾(包括很多很多大學教授),很相信考試成績。而且常拿這個東西當作其他的用途(獎學金、甄試成績...),只因為大家相信他代表「成績」,而且這很容易在單一向度排名。

我們是否可以停下來,好好思考這個問題,讓社會也逐漸接受?不要再回到一綱一本的威權老時代了。學力是「測不準的」!

星期六, 1月 27, 2007

バイリンガルについて

このブロッグのカテゴリーでバイリンガルとついているものがあります。これは、試験的に中国語のブロッグと、同じ話題を日本語と中国語で書いたものです。ただ、同じ内容を翻訳したものではなく、私(お父さん)が日本語と中国で別々に同じ話題について書いたものです。話題によっては内容がかなり違うものがあると思います、よろしくご了承ください。

学力低下?

各メディアで、最近「学力低下」という表題をよく目にします。特に、ゆとり教育反対派では、ゆとりとか週五日制が学力低下を招いたというような論法を展開しています。台湾でも(世界のどこでもだと思いますが)昔のほうがよかった、という「老人」はうようよといます。



ここで、一番の問題は、「学力」とはいったい何なんだ?と言うことではないでしょうか?いろいろな種類の心理テストが、「学力」を測定できるとなっています。しかし、そのうちのどれが本当の「学力」なのでしょう?個人的には、学力なんて曖昧なものは存在しないと思います。たとえば、体力。百メートルを11秒で走れる人と、マラソンを2時間半で走れる人のどちらに体力があると思われるでしょうか?この場合、前の人は瞬発力、次の人は持久力があると普通言われるでしょう。体力として捉えるのは、大雑把に話すとき都合がいいだけではないでしょうか?このごろの子供はゲームばっかりで体を動かさないから体力がない、とか。



学力も同じようで、このごろの教育はゆとりばっかり考えて、子供の学力が落ちているというように使われているのでしょうか。語学力、推理力、創造性、計算能力(これが嫌いです:-()、問題解決能力、人間関係の機微をつかむ力、…これらは全部今言われている「学力」の一側面ではないでしょうか。これらの力はどれをとっても重要ではないでしょうか、ちょうど、体力強化の中で瞬発力と持久力どちらも大事なように。しかし、今どのような試験、特にペーパーテスト、ではこれらの力を万遍に測ることは無理です。ひとつでは無理だからいろいろな心理テストがあるのです。



大人は、政治家は、子供のある側面を、自分が見たいものを見て、自分の主張を展開しているのではないでしょうか。分数の割り算が出来ない大学生がいて大騒ぎをしたり、教育漢字がかけない高校生がいてびっくりしたり。自分たちのころはこんな高校生、大学生はいなかったとか。こんな比べ方に意味があるのでしょうか?



教育によってつける学力、その学力の本質から離れたことにばかり議論がいっているように思えてなりません。

星期四, 1月 25, 2007

撈舊文

因為每一屆都有同學發出同樣疑問,每年都要回答一次(其實學期初就說過多次,但最後會發出這些疑問的人往往學期初沒來上課或根本有來也沒在聽我的話)

先是以前同學(己經畢業的)的complain



作者: ***************************** 看板: EXPpsy

標題: Re: 補考結果

時間: Mon Jan 19 02:22:26 2004




※ 引述《sakurai (大刀廟廟公)》之銘言:

: 各位參加補考同學:

: 整整花了我兩天兩夜時間,終於改好了。不過這一次,

: 感覺白費力氣。好像只是發現我沒有當錯人。

: 也就是說:「沒有人過!」

: 有異議,或要看考卷的請在星期一早上10時前到我辦

: 公室。

: 以上公告。

: sakurai







我想,很多人看到這樣的一個結果,心裡面"可能"或多或少跟我有一樣的想法:都拼了,真的是念地頭破血流(不信老師可以去翻翻看每個同學的課本,小考考卷,都是朱墨按然),有問題的地方也都問了,結果換來一個這麼糟的結果,一個毫無挽回的餘地,我想,一個人在這科會不會被當,考試結果會不會被當,或者是說存在這樣一個當人的制度,是要篩選出有沒有用心,努力與否的同學吧!!如果被當的人之中,大部分的人都可以很大聲地說,我對得起自己,父母與老師了!!!!!!

那麼這樣當了這些學生,真的,很殘忍!!

不禁要問,付出的心血,在這樣的一個科目,真的無法有相對地收穫嗎?

這樣地投入,連及格的程度都無法達到嗎?自己是不是真的那麼無能?

有不好到需要重新重頭學一遍嗎?

也許我真的學的不好,很多觀念無法達到課程的要求,學長也都說,暑修可以讓你學到的,絕對多更多,到時你就知道...現在你或許會覺得難以接受,但以後你就知道,老師很多的邏輯,真的很重要!!

但,暑修的意義究竟是補強,還是打底?

打底不是應該是學期課程的最基本目的與要求嗎?

還是,經過這一學期的學習,我...連最基本的底都沒有嗎?

這樣一個60分的基本門檻,都無法達到?

學習的過程那個環節出了錯?







我想,還是有機會我應該跟學弟妹說,大二修心實時如果你期中考勉勉強強考個及格上下,之後的小考無法得到很理想的分數,甚至是負分,那代表你的改錯題作答方式短時間內是無法達到老師要求的,而改錯題是最重要的,分數高低的關鍵,所以期末考能不能考的好,學期成績會不會過,不是現在的你能決定的,把時間拿來念其他科吧,把那些科顧好較重要,免得到時飽受挫折,進退兩難!!










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以下是我針對這個問題的回答




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作者: sakurai (大刀廟廟公) 看板: EXPpsy

標題: 考試不是在考你努力與否

時間: Mon Jan 19 08:49:31 2004




各位同學:




也許很多參加補考的同學在懷疑,為什麼我這麼努力結果還是沒過?

但放在眼前的是,各位還是沒有了解到心理學研究當中的各種問題及其發生的形態。




很不幸的是,這些東西不是你只把一本課本讀爛就會的。你要讀很多很多有關科學的書。




也很想問問各位,你讀過多少科普的書?有沒有看過科學月刊?如果都沒有,不管你有沒有不及格,希望各位寒假好好看幾本好嗎?




只讀課本不是「讀書人」應有的態度。如果家裡沒有幾本書,還像個大學生嗎?




對每一位來找我的同學也強調,改錯題是訓練各位在現今網路發達的社會中。資訊氾濫的時代中,了解誰說的比較有道理,誰的言論比較沒有問題,誰的研究是可以推論因果關係的?不是背背考過的這幾題改錯題就可以的!因為這些問題出現形態是變化無窮的。如果你以不變應萬變,當然很可能錯得離譜!




再次強調一點,學會這些(如何應付無窮變化的垃圾資訊)。不是一時(幾天熬夜)努力就可以,是需要長久持續的努力。而且,各位要成為21世紀的心理學家這是很重要的生存技巧。同時也應該是日後受用無窮的!




共勉之!




sakurai




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我是櫻井正二郎(據說是心理系第一殺手^_^)

但是我是面惡心善的喔!有空寫信給我

mailto:sakurai@mail.psy.kmu.edu.tw




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#[1;36m※ Post by #[37msakurai #[36mfrom #[33mnt ...#[m

About お父さん

うちのお父さんは、台湾高雄の「高雄医学大学(中国語)」で心理学(知覚)を教えているそうです。

星期二, 1月 23, 2007

回應課程評鑑焦點團體

首先要感謝辛苦的研究生們(尤其是小p),同時也要向他們致歉,因為期初時數處理思慮不周,安排人力相當困難。以致這學期有些老師及課程沒有能安排評鑑,真的很過意不去。

在這種困難情況下,心理實驗法能獲評鑑真的很高興及感謝。在此也要感謝各位提供意見的心二同學(雖然真的不知那一個意見是那一位提的),有各位的坦誠的意見,我才能更進步!

以下,有幾點,或許是我上課時還是沒有能把問題夠清楚傳遞給各位。因此以下來說明一下(本來要簡單說明,不過後來好像也滿長的了 )

第一點,有關課程內容,其實在上課期間多次提過。但這可能關係到我上心實課的核心理念,就藉此機會再度跟大家說明一下。我的課程中有些問題可能只會帶到入口 處,我也知道(因為己經有很多屆都有同樣問題,雖然我在上課時也都講過n次了)各位一直無法理解在講解改錯題為什麼也只會點到為止。以下用假設的狀況再次 說明一下為什麼(希望以後不要再說明):近 五年來小考考題目都自己重新出題(理由前年系刊有寫,過兩天再重新貼出來請大家看),但期末考時會再考同樣題目(雖然沒有辦法所有題目重考)。如果我在講 解答案時,說出(或是網路上寫出)較為完整的回答,我說較為完整是因為同學們也可以寫得更好。一定不少人為了期末考,努力(甚至拼命)背誦這個「答案」。 或許因此而可以得還好的成績,至少應該不會當掉。但是,這樣你真的了解了如何應對在現今網路上各媒體上是是非非的資訊,到底熟是熟非。例如:在之前的網誌 中也討論過星座與交通安全的問題。我如果在網誌上寫說:答案是因為這個結果可能是來自調查方式,發現不同星座(即不同出生月日)的人與交通安全間有一些關 聯性...(其實以上敘述沒有經過充分考量之下的文章,請不要太認真)。當你碰到我期末考出這一題,我想大部分的人就把「背」的結果還給我。那你到底了不了解這一為何不是「巴南效應」是最大問題?

第二點,這一點和前一點有很大的關聯。也是每年不少同學困惑的地方:「改錯題抓不到重點」、「沒有方向感」、「不知道老師評分標準」、「為什麼只差一個字也 要被扣分?」...。其實,改錯真的有其困難性,當然也會有很簡單的情況,但是再簡單的情況,你要把為什麼那是錯的理由說清楚那也不是那麼簡單。例如今年 第一次小考第二題,期末考再出一次仍有人被我扣分,因為他只寫「抽樣偏誤」沒有任何理由!我的評分是有所要求的,因為我希望各位能知道如何較好的方式「說 理」。這就像藝術家雕塑作品,希望做到多一分太多,少一分太少的恰到好處的境界!上課時候也用過這個比喻:「雕塑」,雕是減法,塑是加法,我的扣分是雕的 部分,我的正分是塑的部分。在我希望你雕塑出一條眼鏡蛇,當然不可以給它弄出四隻腳!可能那小小的腳,就是你的致命傷。我在改各位考卷時,一定會 把名字用大夾子夾起來。而且要過一兩天再改(已經差不多忘了誰先交卷誰後交卷,加上原則上我週末要留給家人),就不知正在改是誰的考卷,希望個人主觀的因 素下降一些。有時改了一分讓我情緒起伏的卷子(調查十萬名受試者,有人寫說這樣受試者太少!也有人會寫說只抽一所大學生不能代表全世界的人!)後,還會出 來散步一下,以免影響下一份考卷的評分。改錯題並沒有少數幾個答案就可以含蓋全部可以見到的錯誤!所以各位一下抓不到重點是正常的。去年(前年也是)在 BBS也回過同樣的問題,也說過沒讀幾十或是上百本科學相關書籍,怎麼可能有「手感」?

第三點,不知為何來學「心實」。當然是必修,為何 必修,是因為心理學是科學。科學不是玄學,像心理學較接近社會人文之科學,更須要小心如何才不落入假科學的窘境。你們真的要知道如何才能避免走錯路,不然 畢業之後如何與其他人競爭?所以心實不止必修,也是心理學系同學必備的技能,以及態度。

最後還是要告訴同學,沒事多讀書,讀書有益「腦袋」。

星期一, 1月 22, 2007

心情沉重

今天公告了心理實驗法補考名單及死當名單。

每年要把這名單貼出來前都猶豫很久,雖然在家裡一看再看。考卷也拿出來(雖然有些卷子實在不太想看)還是再檢查。

真的台上台下落差很大,我上課一直提醒吃負分的人一定要來找我!而且要多來幾次。不過有些人就很率性,不來就不來,成績不及格也無所謂。另外有些人好像來過了就交差了事一般,一群人嘻嘻哈哈,也沒有問什麼問題就飛快閃人(還真像快閃族)。

然後到期末公告成績才來門口哭!

我 也很想哭!我一整個學期希望你們能了解科學的思考歷程到底是怎樣的。這不是那一個權威說就對的!各位知不知某一國內著大學校長很不合科學態度的作風?如果 你碰到有人提到他那個「超心理學」,你可以跟別人說明他那裡錯了嗎?提到的人一定會以大學校長的權威壓你,你抵得過嗎?如果你以為交交課程回饋,準時來考試,就可以了解心理實驗法的奧義,或是學會科學家的態度。我只能說,你真的只能再來一次,而且要好好聽「我說」。好嗎?

道徳の時間

人間として、何をしたらいいか、何をしてはいけないか、ということを学校の道徳の時間で習ったようです(何しろ昔の話で記憶が確かではありません)。たとえば、困っている日と助けなければいけなくて、人を騙したらいけないとか。



ただ、こんなこと言って大人は子供を教えますが、いつも大人自身がやってはいけないことしています。耐震強度偽造事件とか、官製談合とか、 食品工場で賞味期限切れの食材使用などなど。大人の一員として恥ずかしいことばかりです。



こういう人の道に外れることは、日本だけに発生するものではなく、世界中のどこでも、人間の社会なら起こることです。また、一般社会だけではなくもっと高い倫理を求められる大学の世界でも起こっています。一昨年、ソウル大学であった捏造事件。東京大学の実験データの捏造疑惑。台湾でも論文の盗作事件(中国語)が最近ありました。



台湾の大学で、一番の問題は、疑惑が起これば、責任を取らされるのは若手の研究者、連名の作者(実験室のボスとか指導教官)お咎めなしというのがほとんどで。とにかく、教授とか何々長になれば、何をしてもかまわないような感じがあります。極めつけは、台湾トップの大学、台湾大学の学長で、カルト科学者の李嗣涔です。 超心理学などちっと危ない学問をやっている教師が大きな大学に一人ぐらいいてもいいかもしれませんが、学長にまでなるとは台湾的というか、怖いものです。

星期三, 1月 17, 2007

試験、試験

こちらでは、今一学期の期末試験。日本ではそろそろセンター試験。



試験は何のためにあるのでしょうか?一斉同時の試験で、いったいどのぐらい一人の人が測れるのでしょうか?ヒアリングを増やすと、英語が上手になるのでしょうか?



さてどうなのでしょうか?

星期六, 1月 13, 2007

問與被問

今天考完心實第一次期末考,面對厚厚一疊考卷,實在不知如何是好

這星期濟世大樓八樓西側特別熱鬧,尤其我那一間,難得有那麼多人來找我(平常找鍾老大的人比較多,因為他常不在 )。

這幾年來,考前被問問題的質與量有些不同了。以前(尤其一些年紀稍長,經驗豐富的學生)常會以觀察我表情同時用許多試探性用詞想套出答案。這幾年的同學,較沒有這種技巧了,而且我也會有擾亂戰術--反正表情多,乾脆有事沒事就表現各種表情。用來阻斷各位從表情中找答案的企圖。

當然,不同人來問,我回答方式也不一樣。有人緊張,就溫和一點;有人較皮那就稍加嚴肅一些。同時常會請同學先來說自己的答案,我會對各位所說,給予適當量的回饋,但不是答案。

來過的人的知道(希望是知道),我不給答案是,你的一個問題,如果我給你一個答案,你的思考一定會停止。其實,改錯沒有改到百分之百沒有問題的情況。所以希望我給你方向,你們就延著這些方向自己走看看。個人覺得,這樣才是對各位有用的教學的方式。

星期五, 1月 12, 2007

柴犬小聚




去年末に、高雄の「新光碼頭」



この赤いコンテナーのオブジェが目標です。もうひとつの目標は、85階ビル







またここからは、港巡りをする、「遊覧船?」も出ています。







高雄にもたくさんの柴犬がいます、今回はその柴犬愛好家のweb仲間のオフ会でした。







最終的には30以上の柴犬が集まりました







私は一番の年上で「でっかい(13Kg)」柴でした:(







天気はあいにく小雨交じりでしたが、港は案外きれいでした。



集合部分


集合写真


タマin高雄港


渡し舟


八十五階ビル


ほかの柴


続き

教育改革は、ここ台湾でも長く叫ばれている課題です。たとえば、台湾十年ほど前まで、高校以下の教科書は、公的出版社(国立編譯館)だけが出版できて、全部の学校はこの教科書しか使用できない決まりになっていました。国立編譯館の教科書は、国民党よりの思想がいっぱいでした。たとえば国語、一番たくさん文章が出ているのは中国台湾の文豪ではなく、「蒋介石」でした。



入学試験も、当然ながらこの教科書に沿って出され、そこに載っている言葉が「正解」でした。たとえば、科学の定義は、「有組織有系統的学問(これは中国語です)」、これ以外は間違いです、なぜならこれは蒋介石が言った(教科書に出ている)言葉だからです。



この十年来、戒厳令がとかれ、民進党の躍進などで、台湾の教科書も変わってきました。日本と同じように、教育部(文部科学省に相当)の審査を受けた各社の教科書が多数出ています。ただ、ゆとりの見直しと同じように、台湾でも「一綱多本(各出版社が教科書を出版していることです)」を見直そうとする動きがあります。12月に台北市長に当選した郝市長は、公約に「一綱一本」を掲げ、今年の9月から台北市と県で教科書を一社にしようとしています。彼らの言い分は、昔一種類しか教科書がなかったときは、正解をひとつ覚えるだけでよかったけれど、今は教科書の種類だけ正解を覚えなければならないので大変だ。またこのような論議に賛成する民衆が多数いるということです。

ゆとり

日本の教育で、学力低下の原因を「ゆとり」にしているようです(記事参照)。本当にそうでしょうか?小泉総理以来(その前もそうかもしれませんが)日本の政策設定者は、単純明快さばかりを求めて、核心的意義を見失っているのではないでしょうか?



教育は、子供たちに大人になって通用する「教養」を身につけることではないでしょうか?今のゆとりの見直しは、もともとゆとりを打ち出した前に戻しているように思えます。そもそも、なぜゆとりを打ち出したのか、「学力」と「教養」の違いは何なのか、論議がないまますすで要るようで心配です。

星期二, 1月 09, 2007

知之為知之,不知為不知--還是小考

上週五(一月五日)第二題確實有些困難。也出得不夠漂亮。
題目是這樣的:

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K 醫學大學心理學系二年級一群同學,想要檢驗Stroop叫色實驗如果利用不是常見顏色時的效果。於是他們選擇:赤、橙、靛、紫四種顏色其色名字(就是赤橙 靛紫四種字)。刺激材料與呈序與一般的Stroop叫色實驗一樣,四種字以四種不同顏色上色(即共16種刺激材料),其中四種情況為合諧字(即色名與字色 一致),另12種情況為不合諧字(即色名與字色不一致)。為了平衡反應傾向,每一個合諧字在每一區段出現三次,不合諧字則出現一次,即一個區段共出現24 次刺激嘗試,受試者作業就是以最快最準確的方式回應字色(利用上色的十字鍵盤回應)。每一個受試者進行四個區段,共96個嘗試。出現順序以區段內全隨機的 方式排列。他們共利用60位K醫學大學大學部同學進行實驗。結果發現並沒有Stroop effect(即不合諧字叫色反應時間並沒比合諧字慢),各字間的比較發現靛字的反應時間最快(不管合諧或不合諧)。因此他們結論,在不常見顏色下 Stroop effect是不存在的。

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要回答這個問題時,一定要有先前知識。例如:Stroop effect, Stroop task, 一點色彩知識、一點文字辨識....

題目中不常見顏色這樣說實在不妥,有一點「技術犯規」。是把你們注意力有一些吸引到顏色上,其實重點是不常見的字。也就是字的出現頻率,這在文字辨識上影響很大。好了,點到這兒接下來就給大家了

星期一, 1月 08, 2007

不要以「不變應萬變」--又見小考

改心實小考改錯題,常是「又好氣,又好笑」

上週五(元月五日)第一題如下:

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麻將可以減緩老人失智進行日 本xx老人養護所,觀察發現喜歡麻將的老人失智進行比較慢。於是利用腦波儀測量玩麻將的老人腦部活動。發現在老人還沒有開始玩麻將以前,他的大腦活動是幾近靜止狀態,開始玩之後活動就逐漸增加。尤其到自己或他人快要「胡牌(即要贏)」前,他的有關學習記憶相關的部位(如海馬迴)活動就特別強。於是該養護所認為麻將可以減緩老人失智進行,也獲得腦科學儀器直接證實。並開始讓所有所內老人每天玩麻將,以減緩他們老人失智的進行。

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因為一連好幾次,都出來問題是研究者把相關性的資料,不加以任何修飾就進行因果性推論的題目。以同學的「術語」來說,這些題目的答案:「相關不等於因果」。

可是,可是,這一題重點不在此!但是見到不少人,可以說「沒頭沒腦」地寫了:相關不等於因果!我說沒頭沒腦的意思就是,只寫「相關不等於因果」也沒有多加任何解釋。這一種人,我當然打一個負分的成績,期望他知道這樣不行。或是起碼知道該要來找我了(但是上課講半天,有些人要來找我,但還是有人不來,我真的拿 這些人沒有辦法)。

稍好一點的,說:「這只是個觀察.....,只能得到相關性資料不能做因果推論」。這些人,就看中間敘述,有人零分,有人負分。這些人所犯的錯誤有兩個: 一、觀察就觀察,為什麼要加一個「只是」?觀察是科學研究的根本,那容許你我說她「只是」個觀察。二、沒有看清題目的標點符號,題目中觀察的部分只有第一句。接著就不是純粹的觀察(或說是類似自然觀察)。測腦活動的部分是比較靜止狀態與活動中(打麻將)時的不同表現。所以也有操弄變項的介入。

說到這,我希望各位知道問題在何處了!當然旁觀的學長姐,以及其他路人,歡迎給我指教!

星期一, 1月 01, 2007

youtubeのテスト




これは台湾ではとても変に聞こえます。



よい子はまねしないでね、ちなみにこの映像は私ではありません。