星期五, 1月 12, 2007

ゆとり

日本の教育で、学力低下の原因を「ゆとり」にしているようです(記事参照)。本当にそうでしょうか?小泉総理以来(その前もそうかもしれませんが)日本の政策設定者は、単純明快さばかりを求めて、核心的意義を見失っているのではないでしょうか?



教育は、子供たちに大人になって通用する「教養」を身につけることではないでしょうか?今のゆとりの見直しは、もともとゆとりを打ち出した前に戻しているように思えます。そもそも、なぜゆとりを打ち出したのか、「学力」と「教養」の違いは何なのか、論議がないまますすで要るようで心配です。

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